◇フランス革命
この革命の主体となったのはフリーメイソンであった。
のちにフリーメイソン自身が「フランス革命は我々の革命だった」と認めている。
「自由・平等・博愛」を掲げるフランス議会が、ユダヤ人に平等の権利を認め、
ナポレオンがゲットーを解体。迫害されていたユダヤ人たちは解放され、
政治家、将軍、知識人、芸術家など社会の表舞台に踊りでる。
ロスチャイルド家は、一族であるモーゼズ・モカッタ銀行を通してフランス革命へ資金を提供。
その他の資金提供者もダニエル・イツィッヒ、デヴィッド・フリートレンダー、
ヘルツ・ガリビール、ベンジャミン・ゴールドシュミット、
アブラハム・ゴールドシュミットといったユダヤ人の銀行家たちであった。
上の絵はフランス人権宣言(人間と市民の権利の宣言)の絵だが、
ご覧の通り、上の部分に“ピラミッドに万物を見通す眼”という
イルミナティのシンボルマークが光っている。
※マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの世界革命行動計画10を参照
◇ワーテルローの戦い
[1815年]ナポレオン率いるフランス軍とウェリントン将軍率いる
イギリス・オランダ・プロイセン連合軍のヨーロッパの覇権を賭けた戦い。
この時、イギリスは国債を発行する事により戦費を調達。
イギリスが負けることになれば、当然、イギリスの国債は大暴落する。
ある日、ネイサン・ロスチャイルドが青ざめた顔をして、急にイギリスの国債を売り始めた。
ネイサンが独自の情報ネットワークを持っていて、
いち早く情報を入手できることは知られていたので、
それを見て投資家達はイギリスが負けたのだと思い込み、
英国債を我先にと売り始め、最終的に大暴落した。
その裏でネイサンは秘密の代理人を使って紙クズ同然となった英国債を買いまくっていた。
翌日、イギリス勝利の情報とともに英国債は暴騰した。
しかし、その時はネイサンがイギリス国債を大量に買い漁った後であった。
これにより、多くの投資家と、ほぼすべての名門の家系が破産したのに対して、
ネイサンは当時としては天文学的な数字である約100万ポンドの利益を得、
この日の儲けだけで財産が2500倍に増えたと言われている。
このことは後に、「連合軍はワーテルローの戦いに勝ったが、
実際に勝ったのはロスチャイルドだった」というこ諺となって
ヨーロッパに残っているそうである。
そして、この時を契機として、ロスチャイルドのイングランド銀行支配が始まった。
1820年代には、各国の大蔵大臣がロスチャイルド5人兄弟に買収され、
国の借金をつくり、公債を発行して、
その2倍近い金利をロスチャイルド商会に支払ったと言われる。
ロスチャイルド商会の資産総額は、1815年には333万フランだったものが、
10年後の1825年には1億6000万フランにまで膨らんでいる。
◇スカル&ボーンズ
米国の名門イェール大学に秘密結社スカル&ボーンズが設立される。
創設者はアルフォンゾ・タフトとウイリアム・ラッセル。
アルフォンゾ・タフトは、ユリシーズ・グラント政権で司法長官と陸軍長官を務めた。
息子は第27代米国大統領のウィリアム・タフト。
ウイリアム・ラッセルは、ロスチャイルドとベアリングが支配する
阿片貿易の利権を分けてもらった麻薬貿易会社ラッセル社の一族。
ラッセル社は、
英国が独占するインド産阿片より質が悪いけど安価なトルコ産阿片を中国に持ち込み、
そこで得た資金で「マサチューセッツ銀行」
(のちのボストン・ファースト・ナショナル銀行)を設立している。
スカル&ボーンズは、1856年には「ラッセル信託基金」の名の下に
正規の法人格を取得している。
ウィリアム・ラッセルがドイツに留学した際、どうやらイルミナティと接触したようで、
帰国後にその秘密結社の儀式を真似て設立されたのがスカル&ボーンズである。
イルミナティとの違いは、
スカル&ボーンズはホワイト・アングロサクソン・プロテスタントのみで
構成されるという点である。
従って、WASPのみで構成された米国版イルミナティと言ってもよいかと思われる。
初期のスカル&ボーンズは、
阿片貿易で巨万の富を得たニューイングランドの有力商家が中心であった。
17世紀に最初にアメリカにやってきたピューリタンの末裔たちが第一グループとされ、
ホイットニー家、ロード家、ワッズワース家、アレン家、バンディ家、
アダムス家、スティムソン家、タフト家、ギルマン家、パーキンス家などがある。
第二グループは、18世紀から19世紀に巨万の富を得た名家で、
ハリマン家、ロックフェラー家、ペイン家、ダヴィソン家、ピルスベリー家、
ウェイヤハウザー家、そしてブッシュ家などである。
ウイリアム・ラッセルがドイツ留学から持ち帰ってきたもう一つのものが、
ヘーゲルの弁証法である。
スカル&ボーンズは、このヘーゲルの弁証法を戦略として採用している。
どんなものかというと、簡単にいえば、まずテーゼ(定立)を立てて、
それに対してアンチテーゼ(反定立)をぶつけて、
ジンテーゼ(総合)を導きだすというもので、
正+反=合という図式で表せる。自らの優位を導くために、
世界の中に意図的に対立を引き起こし、
緊張が極まったところで自分たちを有利に導く解決策を提供するという方法論である。
これもイルミナティーと同じで、キーワードは「分裂と混沌」。
スカル&ボーンズは教育界に大きな影響を与えてきた。ティモシー・ドワイドがイェール学長。
アンドリュー・ホワイトがコーネル大学の初代学長。
ジョン・ロックフェラーはロックフェラー大学とシカゴ大学を創立。
ダニエル・ギルマンは、カリフォルニア大とジョンズ・ホプキンス大の初代学長になっている。
このギルマンがロックフェラーたちと一般教育委員会を設立し、米国の学問を方向づけた。
また、ギルマンの愛弟子にジョン・デューイがおり、
デューイはアメリカ「進歩主義教育運動」の思想的な柱となっている。
このデューイの教育思想と理論は、戦後日本の教育にも大きな影響を与えた。
スカル&ボーンズの中でも特に重要な人物がヘンリー・L・スティムソンである。
スティムソンは、セオドア・ルーズベルト、ウィリアム・タフト、ウッドロー・ウィルソン、
カルビン・クーリッジ、ハーバート・フーバー、フランクリン・ルーズベルト、
ハリー・トルーマンと7人の大統領の側近を務めた。
原爆を製造したマンハッタン計画の最高責任者でもある。
陸軍長官であったスティムソンは、陸軍省内でスカル&ボーンズのフループを結成している。
ジョン・マックロイ、ロバート・ロヴェット、マクジョージ・バンディ、
ウィリアム・バンディ、ディーン・エイクソン、ジョージ・マーシャル、
アヴェレル・ハリマン、プレスコット・ブッシュなど
世界大戦時の重要な閣僚たちが名を連ねている。
このグループが、第二次世界大戦前から戦後にかけての重要な戦略政策を練り上げ、
日独両国の占領政策の立案にあたった。また、このグループは戦略事務局(OSS)を創設し、
以降、その後進である中央情報局(CIA)はスカル&ボーンズ人脈を中心に構成されている。
その他、スカル&ボーンズは、大学、財団、銀行、石油会社なども傘下に擁し、
政府機関にも幅広く人材を送り込んできた。
スカル・アンド・ボーンズの1947年の集合写真、
ジョージ・H・W・ブッシュは時計の左にいる。
◇通信支配
1897年ロンドンにマルコーニ無線会社が設立され、ロスチャイルドの通信支配が始まる。
この通信支配というのは非常に重要である。
ワーテルローの戦いで莫大な富を築いたように、
もともとロスチャイルド家は情報を武器としてきた。
世界最古の通信社は1835年に設立されたフランスのAFP(AgenceFrancePress)だが、
創業者のユダヤ人シャルル・ルイ・アヴァスはロスチャイルドに雇われて
事務所を開設している。
アヴァスの部下にポール・ロイターというユダヤ系ドイツ人がいて、
このロイターが1851年に英国でロイター通信を設立する。
世界に広がる英国植民地の商人ネットワークからロイター通信へ情報が届き、
このロスチャイルドの支配下にあるロイター通信から世界にニュースが配信されてきた。
また、そのロイター通信からMI5(英国の軍事情報を担当する課)や
MI6(英国外の軍事情報を担当する課)ができ、
そのMI6の指導を受けてCIAやモサドなど各国の諜報機関ができたという経緯がある。
「情報を制する者は世界を制す」である。
初代ロスチャイルドの世界革命行動計画
「13.誹謗、中傷、偽の情報を流したことでどのような波紋が広がろうと、
自らは姿を隠したまま、非難されることがないようにしなければならない。
大衆への情報の出口すべてを支配するべきである」
◇『共産党宣言』
1848年カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが「共産党宣言」を発表した。
執筆を依頼したバルーフ・レヴィという人物が、マルクス宛の手紙の中で、
その目的を打ち明けている。
「この新しい人類の社会組織の中で、我々ユダヤ人はいかなる国家に属することもなく、
また他の民族からの何の抵抗を受けることなくして指導勢力となり、
やがてその影響は全世界に及ぶことになるでしょう。そして、もし彼らの中の何人かの賢者が、
これら労働大衆のうちに確固たる指導権を打ちたてることに成功するなら、
プロレタリアの勝利によって次々に世界共和国の一部となっていく諸国家の支配権は、
これらプロレタリアを指導する我々ユダヤ人の手に容易に収めることができます。
要するに、プロレタリアの勝利は私有財産の廃止をもたらし、
こうして公有財産となった他民族のあらゆる私有財産は、
公有財産を管理するユダヤ人の支配下に入るのです。
かくして我々ユダヤ人のメシアが到来するとき、
ユダヤ人は全世界の民の財産をことごとくダビデの星の下につかさどるであろうと
言い伝えられてきたタルムードの予言が実現されることでしょう。」
◇トーマス・ブレーク・グラバー
グラバーは中国に阿片を売りまくって阿片戦争を引き起こした
麻薬貿易商社ジャーディン・マセソン商会の代理人で、
ロスチャイルド傘下のロイズ保険や香港上海銀行等の代理店も務めていた。
ちなみに、今や世界一の金融グループとなった香港上海銀行だが、ロスチャイルド、
ベアリング、サッスーン、ジャーディン・マセソンという錚々たる麻薬貿易商人が
設立時の役員として名を連ねている。つまり、中国へ売りつけた阿片の代金を
イギリスに送金するためにつくられたのが香港上海銀行である。
ジャーディン・マセソンが資金を出して、グラバーが手引きをし、
1863年には伊藤博文や井上馨など5人の長州藩士が英国に密航している。
また、1865年には五代友厚ら17人の薩摩藩士も英国に密航させ、
のちに彼らが明治政府の要人となっていく。
武器商人であるグラバーは、坂本龍馬の亀山社中を通じて薩長に武器弾薬を提供した。
グラバーは英語教師もやっていて、
教え子であった岩崎弥太郎と共に三菱財閥の基礎をつくっている。
◇アメリカの南北戦争
ドイツの鉄血宰相ビスマルクが、
1876年に「南北戦争は欧州の金融権力によって誘発された」と話している。
ジョン・コールマン『ロスチャイルドの密謀』より「アメリカを二つの連邦に分割することは、
ヨーロッパの大金融権力によって、南北戦争のずっと以前に決定された。
そうした銀行家はアメリカを恐れていた。
アメリカ国民が結束したままであれば、
当然ながら一国として経済的、金融的に独立独歩することになるだろうし、
そうなれば、彼ら銀行家の世界支配が覆される、と。
ロスチャイルド一族のこうした声に影響され、彼ら銀行家はアメリカを、
自信に満ちて自給自足体制を貫く活力ある共和国を二つの弱小国家にして負債を負わせれば、
大儲けができると考えたのだ。
(中略)
リンカーンは、ある時、
ヨーロッパの悪意に満ちた金融家ロスチャイルド家から一族の計画の実行者となることを
望まれていると察知した。
北部と南部は彼らによって分断される寸前だった。
(中略)
リンカーンは彼らの企みを看破し、
ほどなく、本当の的は南部ではなく、ヨーロッパの金融かだと考えるようになった。
(中略)そこで彼は公債制度を確立させ、
国家に仲介組織無しで直接人々から借りることで、国際銀行連中を排除しようと決意した。
(中略)
アメリカは支配できない。
彼らはすぐにそう思い知ったが、
リンカーンの死で問題は解決されることになる。
襲撃のための狂信者を見つけることほど簡単なことはない。
(中略)
合衆国に、彼の衣鉢を継ぐほど偉大な人物はいない。
イスラエルは、世界の富を新たに略奪することをひき受けたのである。
悪辣でひねたユダヤ人銀行家たちが合衆国の豊かな富を完全に支配し、
現代文明を計画的に崩壊させるために用いることを、私は恐れている。」[1862年7月]
イングランド銀行は、米国の銀行業者間に、"ハザード・バンキング回報"を配布した。
(歴史情報研究所http://rekishijyoho.seesaa.net/article/20816501.html
※このページは削除されています。)
「奴隷制度は戦争の力で廃止されるであろう。
それには、私も、私のヨーロッパの友人たちも賛成である。
なぜなら、奴隷制度は労働力を所有することにほかならず、
それには労働者の面倒をみることが伴う。
一方、ヨーロッパ流のやり方では、とくに英国が先導役であるが、
資本が賃金を管理することによって労働力を支配する。
これは通貨を管理することによって可能となる。
戦争の結果生じている膨大な債務は、資本家たちが処理することになるだろうが、
通貨の価値を管理するために使わなければならない。
これを達成するためには、銀行業務の基本としては、債券が用いられねばならない。
われわれはいま、財務長官の議会に対する勧告を待っているところである。
グリーンバックと呼ばれている政府発行紙幣を、
いかなる期間も通貨として流通させてはならない。われわれがそれを管理できないからである」
ここには重要なことが二つ書かれてある。
一つは奴隷制が廃止された理由である。
奴隷制は奴隷の面倒を見なければならない。
強制的に働かすには暴力で脅す必要があるので、軍隊のコストがバカにならない。
それに無理矢理働かせているのでモチベーションがないので生産性も悪い。
それより、解放して、一生懸命働けば豊かになると思わせた方が、
進んで働くから生産性が高い訳である。
でも、実際は賃金を管理されているから、
いくら一生懸命働いても豊かになれないのだが・・・・。
もう一つは、お金は債券でなければならない。
政府紙幣では管理できないから困ると言っている。
これが彼らの弱点である。残念ながら、この弱点をついたリンカーンは、
1865年4月14日に暗殺された。
リンカーンは
「債券は不要であり、起源において債務のない国家の富みに比例して
発行される紙幣のみが許可されるべき通貨である」
と国民に説いて1862年2月から政府紙幣を発行した。
◇クーン・ローブ商会
このシフはソロモン・ローブの娘テレサと結婚し、
1870年、クーン・ローブ商会の頭取に就任、経営者として
ジョン・D・ロックフェラーやエドワード・R・ハリマン、
アンドリュー・カーネギーの後援者となり、
ロックフェラーのスタンダード・オイル社、ハリマンの鉄道、カーネギーの鉄鋼帝国に融資、
巨大財閥に育成した。その後、モルガン家、ビルド家、ドレクセル家という
当時の三大有力者と提携し、ウォール街の銀行連合を形成する。
1974年、ネルソン・ロックフェラーが副大統領に指名された時に、
個人資産を公表しなければならなくなった。
その時に明らかになった事は、ロックフェラー家の資産は、
ジェイコブ・シフ以来、クーン・ローブ商会が財務管理しており、
その投資はすべて
クーン・ローブ商会の承認を受けなければならなくなっていたということである。
◇日本銀行
1877年松方正義が渡欧してフランス蔵相レオン・セーと会談し、
レオン・セーが日本に中央銀行設立を勧める。
このレオン・セーのボスがフランス・ロスチャイルド家4代目の当主アルフォンスであった。
「カレイドスコープ」Thu.2012.11.29の記事より、抜粋、転載
日銀は、「三井-ロスチャイルド」の牙城
安倍晋三が提案している日銀法改正ですが、
「日銀は雇用の最大化に努めなければならない」という条文を入れて、
日銀の雇用の改善への義務付けるというのは妥当です。
日銀の金融政策だけ雇用の改善は無理だ、という意見があるようですが、
そうではなく、これは日銀の悪しき慣習に切り込み、一石を投じているのです。
日銀の客員研究員だったリチャード・A・ヴェルナー氏と、
元日銀マンの石井正幸氏との対談形式で書かれている本-福井日銀危険な素顔の中で、
「日銀のプリンス」と言われていた福井俊彦が、
どのようにして30歳代で将来の日銀総裁になることが決められたのか、
その内幕が暴露されています。
(絶版なので、http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060702から抜粋
※このページは削除されています。)
●「失業率8%は当然」国民が苦しんでいても何とも思わない人
ヴェルナー:
昨年(2002年)の11月に福井さんに会った時、
彼は「失業率は8%を!目指すべきだ」と耳を疑いたくなるような言葉を口にした。
福井さんが実際にそうした政策を行うかどうかは別問題だが、
基本的には福井さんは失業率が高くなっても平気な人だ。
石井:
失業率8%でもなんとも思わないという意識は論外だ。
だから、福井さんは国民が不況に苦しんでいてもなんとも思わない。
ヴェルナー:
それが日銀のプリンスのやり方だ。国民のことは全然考えない。
この本によると、日銀の総裁はバカでもなれることになる。
「円の支配者」に忠誠心を示せば、
30代ですでに将来の日銀総裁が決定していることになるのです。
日銀の「独立性」とは、日本国民のために「通貨と物価の安定を第一考える」ためではなく、
「円の支配者」の望むとおりの金融政策を実行することになります。
二人の会話は続きます。
●福井総裁就任は30年前から決まっていた
ヴェルナー:
今から30年以上も前に、日銀の内部の偉い人たちが集まって、
2000年あたりの総裁は福井俊彦にしようと決めていたからだ。
こうした計画が実は1960年代の終わりからあった。
それ以来、福井さんはずっと日銀のプリンスと呼ばれていた。
●プリンスの条件は能力ではなく忠誠心
ヴェルナー:
総裁の選び方はどう考えてもおかしい。
若いうちに、たとえば32~33歳で65歳から70歳の時期の総裁を決めるのは、
どう考えても能力主義ではない。
同期や同世代の人たちに「おれが総裁だから、君たちはどんなにがんばっても総裁になれない」
という逆インセンティブを与えてしまう。
こんなやり方は、どう考えてもやはりおかしい。
石井:
若いころからプリンスを決めるのは、日本の将軍の選び方と同じだ。
ヴェルナー:
そう。それは貴族杜会にも当てはまる。
早い時期に後継者を選ぶことにはちゃんとした合理的な理由がある。
後継者選びの条件として、能力よりも重視しなければならないことがある。
それは忠誠心だ。
忠誠心は早く選ばないと植えつけることができない。
つまり、現在のプリンスは自分に対して忠誠心のある人を次のプリンスに指名したい。
なぜなら、プリンスは長期的に影響力を保ちたいから、
白分の意見や政策を支持する人を跡継ぎにしないと困る。
政策を変えずに、ずっと現在の政策を続けてくれれば、
影響力を高めることができる。
これは昔の王様・将軍、独裁者の後継者選びと同じやり方だ。
自分たちの王朝体制を長く続げるという視点で後継者を選んでいる。
そうすると、望ましい人物像は自分の考え方や政策を守ってくれる人だ。
合理的なやり方だが、能力主義の選び方でない。
円の支配者が、プリンスたちが次のプリンスを早く選んで
「あなたは30年後に総裁になる、私のおかげで」と告げる。
そうすると、次のプリンスに指名された人は、
そこまで支持してくれるのだから「先輩のいうとおりにがんばります」と感謝する。
それで、歴代のプリンスたる先輩の考え方、政策を支持するようになる。
戦後の日銀の金融政策が一貫しているのは、
プリンスの条件が忠誠心だったからだ。
早め早めに次のプリンスを選ぶことで、20年、30年といった長期計画をつくって導入、
実施できる。
歴代日本銀行総裁を見れば一目瞭然。
日銀が三井財閥の私物であることがわかるのです。
三菱財閥の名前も何度か出てくるのですが、
三菱がロックフェラー側であることは明らかですから、
日本の金融政策は「三井」を通じて、ロスチャイルド財閥に遠隔操作されているのです。
歴代総理の人事を決めるときに、西園寺公望を始め、
何人かのフリーメーソン結社員の名前が出てくるのが大変興味深い。
「日銀とロスチャイルドの関係http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060711
※このページは削除されています。」によれば、
「…渡仏中に日本で大政奉還があって幕府が倒れた。
帰国した渋沢(栄一)は、明治維新後、明治新政府に大蔵卿として招かれます。
そして第一国立銀行を設立し、多くの会社を興した。
渋沢の第一銀行と三井銀行が一緒になって、やがて日銀が誕生します。
だから日銀は、伝統的に三井ロスチャイルドの牙城なのです」。
ちなみに郵政民営化では、
日本郵政の社長に三井住友フィナンシャルグループの西川善文氏が就任しました。
西川氏は、社長になるや、三井住友銀行や住友生命、三井生命といった
三井住友系の企業から従業員を日本郵政に続々と出向させるなど、
「三井財閥」との深い関係を隠しませんでした。
日本の金融乗っ取りは、ロスチャイルド財閥にコントロールされた
「三井」が担当しているのです。
ところで、「日銀とロスチャイルドの関係」の最後に、
「昨年(2005年)10月25日と26日にアメリカのシンクタンクAEI所長
クリストファー・デムス氏と、
日本側から安倍普三氏、前原誠司氏、外務省の鶴岡公二氏、防衛庁の山口昇氏、
そして元ワシントン公使の阿川尚之氏らがキャピトル東急に集まって、
日本を中国との戦争に引きずり込むスケジュールが話し合われたとしていますが、
それが本当なら大変なことです」と物騒なことが書かれてあります。
興味のある方は調べてみてください。
◇円卓会議グループ
1891年イギリスで円卓会議グループが結成された。
【背景】
ロスチャイルドの融資を受けて、
セシル・ローズのデビアス社が全世界のダイヤモンドをほぼ独占的に支配した。
ローズは南アフリカの鉄道・電信・新聞業をも支配下に入れ、
1890年にはケープ植民地の首相となり、
南アフリカの政治・経済の実験を一手に握った人物である。
セシル・ローズは、英国圏の人々を結集して世界中の全居住地を彼らの支配下に置くという
野望を持っており、その野望を達成するために秘密ネットワークを組織した。
それが円卓会議グループである。
創始者グループの幹部は、ロスチャイルド卿、バルフォア卿、グレイ卿、イッシャー卿、
ミルナー卿であった。ローズの死後は、アルフレッド・ミルナー卿が
遺志を継いで秘密ネットワークを担う人材を育成した。
アルフレッド・ミルナーは、ミルナー・キンダーガーデン(ミルナー幼稚園)という
組織を持っていて、このミルナー幼稚園は黒人を奴隷にして酷使し、
挙句にアパルトヘイトをつくったグループである。
セシル・ローズの残した財産は奨学金の基金となり、
このローズ奨学金を通して優秀な人材の"青田買い”が行われるようになる。
米国ではローズ奨学金を真似てフルブライト奨学金がつくられ、
有名なところでは竹中平蔵がこのフルブライト奨学金で留学している。
この円卓会議グループが発展して、1919年には英国に王立国際問題研究所
(通称チャタムハウス)が設立される。
このチャタムハウスの創設者はミルナー幼稚園出身のライオネル・カーティスである。
1921年には米国で外交問題評議会(CFR)が
エドワード・マンデル・ハウスによって設立される。
CFRは米国を英国の影響下に置き続ける事を目的に設置された。
初代会長はポール・ウォーバーグで、
創設会議にはジェイコブ・シフ、J・P・モルガン、バーナード・バルーク、
アヴェレル・ハリマン、ジョン・D・ロックフェラー、ウォルター・リップマン、
ジョン・フォスター・ダレス、アレン・ダレス、クリスチャン・ハーターなど
錚々たるメンバーが参加した。1925年には太平洋問題調査会(IPR)が設立される。
IPRは国際連盟脱退後、日本唯一の国際窓口となったNGO(非政府組織)で、
太平洋戦争時にはこの機関を通して対日工作が行われた。
最近になってこの組織の上層部が全員ソ連のスパイであった事が判明している。
IPRはチャタムハウスの下部組織であるが、
資金提供はロックフェラー財団とカーネギー財団がしてきた。
この財団の資金運用をしていたのがロスチャイルド系の投資銀行であった。
1954年には、ビルダーバーグ会議が開催された。
1973年には、日米欧三極委員会が設立されている。
提唱者はデイヴィッド・ロックフェラーとズビグニュー・ブレジンスキーである。
ロックフェラーがビルダーバーグ会議に、経済成長を遂げた日本も加えたらどうかと
提案したところ、欧州勢から反対を受け、それならと独自に設立した組織である。
ブレジンスキーは、ヘンリー・キッシンジャーと並ぶCFRの重鎮で、
今は、バラク・オバマのアドバイザーを務めている人物である。
カーター政権時より米国政府の基本的な外交政策は、
ブレジンスキーの描いた戦略をベースとして展開されている。
現在では日本の国際的な戦略的重要性が低下し、
日米欧が抜けてただの「三極委員会」と改称されている。
◇日露戦争
1904年日露戦争が開戦する。
日本が絶対不利だったにもかかわらずクーン・ローブ商会のジェイコブ・シフから融資を受け、
戦費不足を補い、なんとか勝利する。
しかし、この負担がのちに大きく伸し掛かり、
日本は外資によるコントロールから財政破綻、
そして戦争へという道のりを歩み出す。
◇ロスチャイルドの石油支配
1907年ロイヤル・ダッチとシェルが合併してロイヤル・ダッチ・シェルが誕生する。
ロイヤル・ダッチとはオランダ皇室のことである。
オランダは産油国のインドネシアを植民地にしていた。
1909年今のイランにアングロ・ペルシャ石油が設立される。
これは後にブリティッシュ・ペトリアムとなり、今はBPとなっている。
ロスチャイルドは、バクー油田の権利を持っているので、
これでロシア、インドネシア、イランと大産油国の石油を掌中に収めたことになる。
現在では、シェルやBP、あるいはロックフェラーのエクソンモービルなど、
国際石油資本がもつ油田の埋蔵量は世界の全埋蔵量の10%を切っていて、
残りは産油国の国有石油会社が持っているが、
商品取引所による価格形成メカニズムを用いて、
その影響力を堅持している。
◇モルガン・グレンフェル
1910年ロンドン・モルガン商会がモルガン・フレンフェルに改組される。
創業者のエドワード・グレンフェルは、
ロスチャイルド一族でイングランド銀行総裁ヘンリー・グレンフェルの息子であり、
イギリスの老舗投資銀行ブラウン・シプリー社の重役であった。
ブラウン・シプリーのブラウン家は、米国ではハリマン家と結びついて
ブラウン・ブラザース・ハリマンになっている。
このブラウン・ブラザース・ハリマンの頭取を務めたのが
パパ・ブッシュの義父ジョージ・ハーバート・ウォーカーで、
ナチスに資金提供していたユニオン銀行を設立したのがアヴァレル・ハリマン、
ユニオン銀行の社長を務めたのがパパ・ブッシュの実父
プレスコット・ブッシュという関係である。
モルガン・グレンフェルは、現在、ドイツ銀行に買収された形になってるが、
実質的にはドイツ銀行を乗っ取っている。
◇FRB連邦準備制度
銀行家達の私有銀行FRB設立
1913年アメリカで連邦準備制度(FRB)が設立される。
FRBは、1907年の金融危機を教訓として誕生した。
危機の再発を防ぐため、ポール・ウォーバーグが銀行改革の必要性について、
連日のようにマスコミを通じて主張した。
米国の中央銀行である連邦準備制度の設立に関する経緯を説明すると、
まず1910年にJ・P・モルガンが所有するジョージア州の
ジキル島で全国通貨委員会の会員による秘密会議が開かれた。
この密室会議の出席者は、次のようなメンバーであった。
【FRB設立のための秘密会議のメンバー】
このメンバーの中で、中央銀行の設立に関与したことがあったのは、
ポール・ウォーバーグだけだったので、実務はほとんど彼一人で受け持ったということである。
米国では中央銀行に批判的な意見が多かったので、
ポール・ウォーバーグは中央銀行という名称を避けるように提言し、
連邦準備制度という名称に決定した。
連邦準備制度をつくる法案は、
共和党のネルソン・オルドリッチが議会に提出したが、
オルドリッチ法案は民主党から激しい反対を受ける。
その議論を続けている間に、なんと共和党が野党に転落してしまった。
そこで、民主党の大統領候補者ウッドロー・ウィルソンに白羽の矢が立つ。
1912年の大統領選挙では、現職で人気者のウィリアム・タフト(共和党)が
再選確実とされていた。そこへ人気者の元大統領セオドア・ルーズベルトが、
共和党を離れ、革新党を結成して立候補する。
その結果、共和党内で表が割れて、ウィルソンが地滑り的勝利を収めた。
この時、ウッドロー・ウィルソンを支援していたのが、
ポール・ウォーバーグとジェイコブ・シフであった。
ウィリアム・タフトを支援していたのが、フェリックス・ウォーバーグ。
フェリックスはポール・ウォーバーグの従兄弟である。
そして、セオドア・ルーズベルトを支援していたのが、オットー・カーン。
ポール・ウォーバーグ、ジェイコブ・シフ、
フェリックス・ウォーバーグ、オットー・カーン、
実はこの4人、全員がクーン・ローブ商会の共同経営者である。
初代ロスチャイルドの世界革命行動計画
〈⑫財を活用して、我々の要求に素直に従い、ゲームの駒となって、
政府を陰で操ることを我々から任じられた人物をえらば無ければならない〉
この選ばれた人物がウィルソンであったわけである。
●操られたウィルソン大統領
ウィルソンを操った代表的な4人。
[エドワード・マンデル・ハウス(ハウス大佐)]
軍隊経験は無いのに、
何故か「ハウス大佐」と呼ばれていた。
エドワード・マンデル・ハウスは、ウィルソンが「もう一人の私」と呼んだほど
親密な間柄であった。
ハウス大佐は、リンカーン暗殺の主犯格トーマス・W・ハウスの甥で、
ロスチャイルドの代理人として欧州の金融資本とテキサスの石油業者をつなぐ役割を担っていた人物である。
[バーナード・バルーク]
ウォール街伝説の相場師と呼ばれたバーナード・バルークは、
ウィルソン、ハーディング、クーリッジ、フーバー、ルーズベルト、
トールマンと6人の大統領顧問として活躍した人物。
第一次大戦時には戦時生産局長官となり、軍備工場の全てを掌握し、
軍事予算から膨大な利益を得ている。
第一次大戦前、バルークは100万ドルの資産を持っていたが、戦争が終わった時、
その資産は2億ドルにもなっていた。
ドイツに法外な賠償金を支払うように決めた賠償委員会の委員長でもあり、
第二次大戦後は国連の原子力委員会の米国首席代表を務めた。
[ユージン・アイザック・マイヤー]
ユージン・マイヤーは、戦時軍需品・財政委員会や戦争産業委員会のポストに起用され、
1930年には連邦準備制度理事会の理事に就任、1931年には、
再建金融公社の会長に就いた人物。さらに1946年には初代世界銀行総裁にも就任している。
ユージン・マイヤーの父親はロスチャイルド系投資銀行ラザード・ブラザーズの共同経営者で、
娘のキャサリン・グラハムはワシントン・ポストの社主であった。
キャサリン・グラハムは「日本の首相はキャサリン・グラハムの許可がないと成れない」
と言われたほどの影響力を持っていた人物。
ちなみに、このマイヤー家はオットーカーンの一族である。
[ポール・ウォーバーグ]
FBRの設立者ポール・ウォーバーグは改革はユダヤ教徒、つまり彼もフランキストである。
ロスチャイルドの代理人として渡米したポールは、
クーン・ローブ商会の創業者ソロモン・ローブの娘ニーナと結婚し、
ジェイコブ・シフ同様、クーン・ローブ商会の共同経営者となった。
ポールの兄マックス・ウォーバーグは、ドイツ諜報機関のリーダーであり、
ナチスへ活動資金を提供していた人物。
従兄弟のフェリックス・ウォーバーグは、
レーニンを封印列車に乗せてロシア革命を支援したドイツ国防軍の情報部長官で、
このフェリックスは、ジェイコブ・シフの娘フリーダと結婚している。
また、ポールの娘フェリシア・シフ・ウォーバーグは、
フランクリン・D・ルーズベルトの息子ルーズベルト・ジュニアと結婚している。
フランクフルトのゲットーでは、狭いユダヤ人居住区の中に、シフ家、ウォーバーグ家、
バルーク家、カーン家、そしてロスチャイルド家が住んでいた。
シフ家はロスチャイルドと同じ屋敷を半分ずつにして住んでいて、
カーン家はその4軒隣に住んでいた。
ウッドロー・ウィルソンは、就任式の直後に特別会期を招集して、
クリスマス休暇でほとんどの議員たちが帰省中に、
民主党が提出したオーウェン・グラス法という連邦準備法を可決させ署名した。
そのオーウェン・グラス法案は、
以前、民主党が反対していた共和党のオルドリッチ法案と名前以外は
ほとんど同じという法案だった。
しかも、このオーウェン・グラス法案に対し
共和党のオルドリッチとヴァンダーリップが激しい非難の声をあげるという茶番劇付きだった。
ウッドロー・ウィルソンは、晩年になって連邦準備制度設立に加担したことを後悔して、
こう言い残した。
「私はうっかりして、自分の国を滅亡させてしまいました。
大きな産業国家は、その国自身のクレジットシステムによって管理されています。
私たちのクレジットシステムは一点に集結しました。
したがって国家の成長と私たちのすべての活動は、
ほんのわずかな人たちの手の中に有ります。
私たちは文明開化した世界においての支配された政治、
ほとんど完全に管理された最悪の統治の国に陥ったのです。」
1929年ウォール街の大暴落をきっかけに世界恐慌が始まる。
その原因は、1920年代にFRBの指示で銀行が信用創造量増やした事による。
融資の担保は主に株券であり、その結果、株価は高騰、バブルが発生する。
株価がピークを迎えると、FRBは一転して銀行の信用創造を厳しく抑制。
お金の流通量をわざと減らして大恐慌を引き起こした。
このことはミルトン・フリードマンはじめ多くの経済学者が指摘している。
この恐慌により1万6000もの銀行が倒産し、
そのほとんどはモルガンとロックフェラーが吸収・合併していった。
また、紙切れ同然になった企業の株券も買い占め、両者の独占状態になる。
銀行や企業だけでなく、融資を返済出来なくなった農家も広大な土地を没収されたため、
飢饉が発生する。この土地の多くもウォール街の金融財閥の関係企業に買い取られた。
1931年刑期回復という名目のもと金の回収が行われる。
懲役10年という罰則のもと、
米国民全てが金貨や金塊を財務省で紙幣と交換する事を義務づけられた。
そして、1939年末には兌換紙幣が廃止され、紙幣と金はもう交換出来なくなった。
つまり、合法的に金の強奪が行われた。金融危機を防ぐ目的で設置されたFRBだったが、
連邦準備制度が成立してから、
1921年、1929年の株価暴落、そして1929年から1939年の大恐慌、
1953年、57年、69年、75年、81年、の景気後退後、
89年のブラックマンデーを経験し、
1000%のインフレでドルの購買力の90%が破壊されている。
つまり、FRBは何の役にもたっていない。
ロスチャイルドの世界革命行動計画⑮
〈我々の力を行使すれば、失業と飢えがつくり出され、大衆にのしかかる。
そうすれば、確実な資本の支配力が生じる〉
●連邦準備制度がもたらす弊害に警鐘を鳴らしていた賢人たち
【リンドバーグからの警鐘】
大西洋単独飛行を成し遂げたことで有名な
チャールズ・リンドバーグの父は政治家だった。
1910年代にミネソタ州選出の共和党議員を務めていたが、
金融資本家の企みに気付いていた。
「金融制度は、連邦準備制度理事会に引き渡されてしまった。
この理事会はまぎれもなく暴利をむさぼるグループの支配で運営されている。
この理事会は私営で、他人のお金を使って、
最大の利益を上げるというただ1つの目的で経営されています」と警告。
彼は2冊の本を出している。1913年の『銀行と通貨とマネートラスト』と、
1917年の『なぜあなたの国が戦争に行くのか?』の両方で、
銀行家達の利益追求によって一般の民衆が犠牲になっていると指摘。
後者においては第一次大戦におけるアメリカの銀行による、
戦争当事国への多額の融資を非難している。
【連邦準備制度を批判して毒殺されたマクファッデン】
ペンシルバニア州選出の共和党議員で、
1920年代に議会の銀行・通貨委員会の議長を務めた
ルイス・マクファッデンのことばを紹介する。
1929年10月29日のウォール街の株暴落に端を発した、
世界大恐慌の真っ只中の1932年6月10日に、アメリカ議会で行った演説である。
彼は、この25分の演説で、
今回の世界大恐慌は連銀が意図して起こしたものであるということと、
ロシア革命の成功はウォール街の銀行家が、
アメリカ連銀と欧州の中央銀行を使って資金を用立てた結果であると話している。
「我が国には世界中で過去に存在した数ある有害な制度の中で、最悪なものがあります。
私は連邦準備制度の事を言っています。
この悪魔の制度は、合衆国の国民を貧乏にします。
そして事実上合衆国政府を破産に追い込むでしょう。
それは、理事会をコントロールする金持ちハゲタカによる腐敗した策略によって、
成し遂げられるのです。」彼は大学を卒業して最初の職場が銀行で、頭取にまでなった。
その後、政界に転向して議員になってからも銀行・通貨委員会の議長を務めていたので、
金融の仕組みと問題点に詳しかったようである。
この反骨の人は、世界大恐慌は連銀に連なる金融資本家が引き起こしたことを見抜いて、
連銀に対する弾劾決議を議会に提出しようとしていた矢先に、帰らぬ人となってしまった。
彼はこの記念すべき演説の4年後、
1936年10月1日からニューヨーク市に滞在していたのだが、
そこで風邪を引いたのでインフルエンザ用の薬を服用した直後、心臓が停止。
2日後の10月3日に60歳の生涯の幕を閉じた。
これは、風邪薬と偽って毒を盛られて暗殺されたのではないだろうか。
彼が命を狙われたのはこれが初めてのことではなく、
過去にワシントンで2回も危機一髪で助かっている。
一度は待ち伏せされて、タクシーを降りたところを短銃で撃たれたが、
幸い弾は彼を逸れて助かった。二度目はパーティーで口にした物に毒が盛られていたのだが、
その場に医者が居合わせてすぐに胃洗浄を行って一命をとりとめたことがあった。
三度目は旅先で油断していたのかもしれないが、命取りになってしまった。
【ライト・パットマン】
テキサス州選出の民主党議員で、
1930年代に議会の銀行・通貨委員会の委員を務めたライト・パットマンの言葉を紹介する。
「今日の合衆国には二つの政府が存在する。
一つは正当に設立された政府、
もう一つは憲法によって議会に与えられた通貨発行を管理する連邦準備制度、
という独立したコントロール出来ない協調性のない政府である。」
【バリー・ゴールドウォーター】
1964年に共和党の大統領候補にもなった上院議員バリー・ゴールドウォーターの言葉。
「大部分のアメリカ人は、国際金融資本家達のやっていることを全く理解していません。
そして連邦準備制度理事会の会計は、いまだかつて監査を受けたことがないのです。
この理事会は議会のコントロールのきかない存在であります。
そのうえよその国からの合衆国の信用、信頼を悪くしています。」